映画に対する接し方も昔とはだいぶ違ってきた。
ぼくがまだ若かったころ映画を観るにはそれなりの準備と覚悟が必要だった。
情報誌「ぴあ」を買い、赤ペンで印をつけ、その日の予定を確保し、お金の心配もありなるべく散財しないように生活をしてなんとか行き帰りの交通費とチケット代を捻出したものだ。
もちろんパンフなんか買わないしポップコーンもジュースも飲まない。
映画がはじまる2〜30分前には席に着かなければならない。
途中でトイレに行きたくならないようにムリにでも用を足す。
予告編もチェックしなければならない。
そしてベルがなる。
館内がもう一段暗くなり、幕が全開になる。
ぼくは映画に敬意を表するように座り直す。
はじまる。
それまでは前の席の帽子が邪魔だなあ、とか女の子たちのおしゃべりが気になったりしていたのが、すぐにどうでもよくなる。
ぼくの回りからは誰もいなくなり、暗闇の中にスクリーンの中の人物だけが世界をつくり出す。
身体は席に埋まりながらもぼくの精神は宙に浮いていくようだ。
映画は本当に夢だったのだ。
今はそのときの感覚とまるで違う。ぼくらが若かったころのテレビドラマよりさらに身近なものになった。
はじまる時間とか気にしなくていいし途中でやめたっていい。
見たいときにいつだって見れる。
ぼくにしたって今では映画を観るのはネットがいちぱん多いだろう。
便利になった反面、映画がもっていた特別な意味がどんどん薄れていくようだ。
単なる感傷ではあるが、映画好きにしてみれば寂しい一面もあるのだ。
熱にうかされるように映画を観まくっていたあの時期は幸福だった。
いや、思えばあの頃は現実があまり幸福ではなかったからこそ映画を観ていたのかもしれない。
今も昔も現実なんてそんなに調子のいいものじゃないってことは、痛いほどわかってるからね。
映画に愛をこめて
昔の映画を観ていて「あれ?これ観たことあるな」と思うときがある。
ヒッチコックの『白い恐怖』で映画の終盤に拳銃を持った男の手が大写しになるシーンがある。これを観たときにぼくは確かに以前この映画をみたことがあると思った。
よくわからない感情でいっぱいになり思わず声が出そうになった。
子供のころ好きだった女の子と大人になって偶然再会するようなものだ。当時の切ない感情がフラッシュバックのようによみがえってくる。
それはケッコウ強烈な感覚だ。
アンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』でも同じ経験をした。
主人公の青年が安酒場の給仕の女にビールをたのむ、ビールを注ごうとする女の邪魔をしてからかうシーンだ。
子供のときに観ただろうからストーリーもよく理解できなかったろうけど主人公の強烈な生きざまは心に刻まれていたのだ。
どんな映画にも必ず心に残る場面、シーンがある。
評論家がこきおろす作品にだって、ある。
それは人の感性はみな一様に違っていると思うからだ。
たとえば嫁とぼくとでは好む映画がまったく違う。
先日も『イレイザーヘッド』を観ていて嫁は10分で音をあげた。
でもぼくはこのわけのわからい映画が楽しくてしょうがない。あの消しゴム頭をみているだけでうれしくなる。
だからネットではどんなに評価の低い作品でもリストに加えてほしいのだ。歴史の中に埋もれてしまうような作品でも人の人生を変えてしまうほどの影響をあたえることがある。世界のナベサダがとくべつに名作というわけでもない『ブルースの誕生』を観てジャズプレイヤーになる決心をしたように。
底抜けシリーズ
いまどうしても観たい映画が「底抜けシリーズ」なんです。Amazonとかネットフリックスでも配信してないみたいなんですね。DVDでも『底抜け大学教授』とかはあるんですが、ぼくが観たいのはジェリー・ルイスがディーン・マーティンと別れる前のやつなんです。『底抜けお若いデス』とかね。
ジェリー・ルイス
最近の若い人が観たらどう思うんだろうか?
志村けんを見ておもしろいと思うならルイスも受け入れられるんだろうな。
あきらかに志村けんはルイスの影響を受けている。
とはいえルイスのあの奇妙奇天烈な動きはまったく誰にもマネできないものだ。
とにかくぼくはジェリー・ルイスが好きなんだな。近石真介さんの吹き替えもハマりにハマってた。
小学生だったぼくは底抜けシリーズとドリフターズに夢中で、ドリフは土曜の8時になればテレビで見ることができたが底抜けはそうはいかない。
いつやるかわからないのだ。
夏休みとかにまとめて放映されることが多かったと思う。
ジェリー・ルイスはレコードも何枚か出してるくらい歌もうまかったし監督もやったし芸達者な人なのだ。
『キング・オブ・コメディ』で久しぶりに見たときはうれしかったけど本音を言うともう少しコメディアンとしての一面を出してほしかったなあ。
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アガサ 愛の失踪事件
さて、今もう一度再見したいのが『アガサ 愛の失踪事件』です。
これはアガサ・クリスティが実際に起こした失踪事件を題材にしています。
事件の真相はフィクションでしょうが、映画はつまらないメロドラマではなく一流のミステリーに仕上がっています。
そしてアガサ・クリスティの女性としての心情も描かれていて見終わったあとにしみじみと心に残るものがあります。
でも、ぼくが印象にあるのはファーストシーン。
映画が始まってほんとに最初のカット。
アガサ役のヴァネッサ・レッドグレープが職人が作業している、その手元を思い詰めたような表情でジッと見つめているシーンです。
この画のただならぬ緊張感と美しさは映画のラストまでとぎれることはありません。
監督のマイケル・アップテッドはこの後『歌え!ロレッタ愛のために』を撮っています。ぼくは観ていませんがシシー・スペイセクがアカデミー賞主演女優賞をとりましたね。
Amazonや楽天市場でも探してみましたが残念ながら今では手に入らないようです。
primeあたりで観れるようになるといいですね。